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    • 2017.12.30 Saturday
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    3.11の地震

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       しばらくブログを書けていなかったけど、久しぶりの更新がこんな内容になろうとは。



       3月11日の午後2時46分、あの地震があったときは自宅スタジオでとあるレコーディングをしていた。紙袋やペットボトルをくしゃくしゃ丸めてその音をマイクで録音し、サンプル素材を作ろうとしていたのだ。

       少し揺れ、いつもの癖で開いているパソコンで速報を調べようとした。すると揺れが増してくる。スタジオのドアを開けて、まったく気付かずに歌をハンドマイクで録音しているQuinkaに呼びかける。揺れがさらに増す。建物の肩の部分を大きな巨人に揺さぶられるような感じ。

       倒れそうなリビングの棚を押さえる。本がドサドサと崩れ落ち、キッチンの棚からコップが次々と落ちて割れる音が響く。大きな船のドックで強い波に揺られているような気持ちになってくる。暴れる旗を掲げるポールに掴まりながら、この船は駄目だ、逃げようと思う。

       しかし揺れは一旦おさまってきた。そのかわり電気が止まった。激しい鼓動を手で押さえながらドアや窓を開ける。お向かいに長く住んでいる老夫婦に声をかける。こんな揺れは今まで初めてだと言っている。部屋に戻ると、いつのまにか水もガスも止まっていた。

       震源地はどこだろう。昨日地震があった東北だとしたら、こっちまでこんなに揺れないはず。すると窓の外からアナウンスが聞こえてきた。川崎市〜区の震度は5強、〜区は5弱。それを聞いて震源地は今いる川崎だと勝手に判断してしまっている自分がいた。早くも気が緩み、カメラで部屋中を撮影した。



       すると2回目の同じような揺れ。再びコップたちが落ちそうな食器棚を横目に、今度こそ逃げようと思う。すぐ近くの公園にいくと街の人が数十人集まっている。ある男性が、携帯のワンセグを見ていたので見せてもらった。宮城県みたいですよといいながら画面を見せてくれる。津波で車が流されている。スマトラと同じ景色だと思い、一瞬で顔が青ざめた。

       仙台にはGOING UNDER GROUNDのサポートで1週間前にいたばかりだ。そのまえには盛岡や秋田にも回った。そこで会った人たちの顔がすぐに浮かぶ。自分の仙台アトリエモーツァルトやBack Page、ennのライブに来てくれていた人たち、そしてそこで働くひとたちは無事だろうか。

       しかしそれ以降、なんの情報を得ようにもテレビが付かないし、ネットもできない。携帯ラジオも持っていなかった。きっと多くの人がそうであったように、携帯電話で見るツイッター、そしてわずかなニュースが便りだった。

       あたりが薄暗くなってから、電話も繋がらないので両親のもとへ車で直接行ってみた。二人は真っ暗ななか、鍋用のガスコンロを使って夕飯を食べていた。僕と父は二人とも頭にヘッドランプを付けており、行動が似ていて少し笑った。

       さらに夜遅く、都心から徒歩帰宅している友人を車で途中まで迎えにいく。ガソリンはあとわずかだがあとで入れよう。しかしそれから10日間、ガソリンは空っぽのままである。

       翌日のGOING札幌ライブはやることになった。飛行機で東北をまたぐ。今でもこのときの気持ちが忘れられない。日本海よりではあったが、なにもできないくせに雲の上から見下ろしているということが、罪悪感に成り代わって胸に滲む。

       ライブは開始寸前までやっていいのかどうかを楽屋で話し合っていた。議論の末、電力不足と電力ピーク時間を考慮して、前半は完全なアンプラグドというスタイルで始めることになった。本当に偶然だが、このKraps Hallで半年前、素生くんとジョーくんと3人で同じような生音のライブをやっていたのだ。そのときと同じグランドピアノを声が届くように小さく弾く。涙ぐんでいるお客さんはたくさんいたし、僕も何度かこみあげるものがあった。


       
       自宅に戻り、ぐちゃぐちゃのままのスタジオに足を踏み入れる。左右のスピーカーが落ちたのだが、置いてあった台の手前にあるキーボードに一度あたったらしく、鍵盤が3つ、中の基盤が見えるほど壊れていた。試しに電源を入れるが音は出る。

       あらためてテレビで被災地の映像を見る。ネットではおもに海外のメディアがより鮮明な報道を投げかけてくる。死者は2万人を超えるだろう。まさかこんなことになっているとは思っていなかった。

       なくなった方、大事な人をなくした方の思いははかりしれない。瓦礫から救われたひとたち、孤立していた人たち、そして避難所にいる数々の、新幹線で2時間あればたどり着ける距離の人たち。寒さで夜は眠れず、昼に眠るという記事を読んで、思わず暖房を消した。

       ネット上では気丈にまわりを元気づける人たち。しかし字面からは見えない苦悩はみんな抱えているだろう。被災地でない場所にとどまる僕らは、無力感を隠し持って日々歩いている。出来ることが限られているのなら、黙っているよりはいつも通りどんどん働いたり、家のことをしたりするのがいい。誘ってくれたバンバンバザールのチャリティライブは、情けないが自分にとっても救いだった。

       今も自宅のスタジオが揺れるときは、吊るしてあるケーブルの揺れ方を注視する。輪番停電でときには1日に5時間止まる日もあるが、余震以上に停電はこの先かなり長い付き合いだろう。考えすぎてあたふたする時間も多かった。これからはそんなときこそ、静まりかえる街の鳥の声を聞きに、外に出よう。そして被災地の人のことを考えて、空を見上げよう。

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